2014年7月17日木曜日

心の闇に気付くことは最高のギフト。

こんにちは、Yukaです(╹◡╹)

アメブロの方には少し書きましたが、
先月後半~今月初旬まで、
自分の心の奥底にしまっていたもののふたを開けて
向き合っていました。

ふたをして、見ないふりをしていたそれ。
ようやく、向き合うタイミングがきたんですね。

渦中にいる時は、身体も心もしんどかったです。笑。

それでも以前と違い、取り乱すことがなかったのは収穫でした。
この暗闇を抜けた後の成長した自分、すっきりと身も心も軽い
自分がいると確信を持てるようになっていたことが
とても大きかったです。

早くに気付いていれば…という気持ちもゼロではなかったですが、
そのタイミングより前だったら、生きる気力を失っていたかも
しれません(≧▽≦)

おかげさまで、とてもとても貴重な経験ができました♡

7/12の満月の日に、久しぶりにお友達に会ったら、
その子も同じように自分が見ないふりしてたところ
見ちゃって受け入れることをしてたと判明して、
FBでも周りに自分と向き合ってる子がいて、
そういう時期なのかも。

どういう風にブログに書こうかと思ったのですが、
時系列で日記風に書くことにしました。
読みづらかったらごめんなさい。

もし、同じように、自分の内側と向き合う、
自分の闇を見ている人にとって、
また、今はそうではなくても、今後こういう状況になった時のために
何かお役に立てることがあればうれしいです。



■7/8
 私は私を愛してなかったことに気付いた。
 1年半ほど前にそれに気付いて、
 それから自分を愛したいという想いで
 色々やってきたけど、隠して押し込んでいただけだった。
 「私は私を愛している」
 「私は無条件に愛されている」
 そう自分に言うと、ものすごい抵抗がでてきた。
 慣れない、なんてものじゃなく、
 激しい拒絶。

 いやいや。
 そんなはずはない。
 私に愛されていい価値なんてない。
 やめて!
 私は愛されなくていい!
 このままでいいの!

 そういう気持ちが、どんどん出てきて。
 自分ってイイ子じゃなかった
 自分を愛せてなかった
 と自覚して、ショックを受けた。

 それで、この気持ちをどうしよう?と思ったけど、
 そのまま、出すままにしておくことにした。

 そしたら、そうすることが"ありのままの自分"を
 認めることかな、と思い始めた。


■7/9
 今は、自分を愛してなくていいじゃないか。
 そんな気持ちもありつつ、思考で闘ってる感。

 闇に居るけど、以前と違うのはこの状態は続かないってこと。
 一番暗いのは夜明け前なんだって。

 闇が強いほど光も強い。
 私には、自分の手に負えないと
 思いこんでしまうだけのパワーが
 あるのかもしれないw

 自分を愛して無くていいメリットって何だろう?

 そんな時にみた、エンジェルナンバー 796

 必要なものが得られるかどうか、心配はいりません。

 あなたは、聖なる人生の目的のために正しい行動をしていて、
 天はあなたが進むにつけて、いつでも必要なものをもたらし、
 サポートしています。 


 
 時々、自分に
 「私は私を愛している」
 「私は無条件に愛されている」
 と言うと、

 最初と同じように激しい抵抗と拒絶の想いがでてきた。

 でてくるままに、ずぅっとそう「感じて」いると、
 急に心臓が痛くなった。
 鼓動とともに、ずきずきする。
 ちょっとやばいんじゃない?

 そう思って、ふと浮かんだ、ホ・オポノポノを心の中で唱える。
 I'm sorry. Please forgive me. I love you. Thank you.

 何度か唱えると痛みがなくなって楽になった。

 少しすっきりした気持ちだ。

 私は私を愛してないと感じていたら、
 ハートがこんなに痛くなるなんて。
 びっくり。
 以前はそんなことなかったけど、今は深くで感じたのかなあ?

 病は気から、というけど、そのメカニズムを
 ついに体感できたのかもしれない!
 すごい!


■7/10
 イスラエルによるガザ空爆のニュースをネット上でよく見かける。
 助けを求める声。
 被害状況を伝える写真。
 何かできないか?と思うけど、両国の人々の心の平穏と平和を祈ることが
 一番の平和への道だと個人的に思う。
 とはいえ、やはり少し、イスラエルに対して怒りや
 理解できない心情がでてくる。
 イスラエル人の中でも、この空爆に異を唱える人もいるし、
 シオニストとイスラエル人とは違うと思えるようになってきた。

 日本がそこに武器提供といった形で
 関与していることも言われている。

 こうした出来事に怒りや憎しみで応じても
 平和には繋がらない。
 目には目を。歯には歯を。
 だから、平和には平和を。
 
 私の心が、世界中の人々の心が、平穏で、平和で在る。
 それが一番の近道じゃないのかな。


■7/11
 ガザ空爆のことが頭をよぎる。

 ふと、本当に何気なく、疑問が浮かんだ。

 私は自分には愛される価値がないと言えるけど、
 パレスチナの人々に、
 イスラエルの人々に、
 あなたたちには愛される価値がないと
 言えるだろうか?

 と問いかけてみた。

 私の答えは「言えない」。

 自分には何のためらいもなく言えることが、
 他者には言えない。

 これっておかしいな、って初めて気付いた。

 自分を客観的に見て、自分を一人の人だと認識すると、
 私には愛される価値はない、と言えなくなる。

 もうやめよう。

 そう素直に思った。

 多くの尊い命が失われ、
 人同士が争っている戦争をきっかけに、
 このことを学んだのはきっと意味のあることなんだと思う。

 (だからって、ガザ空爆が良いわけない。)

 
 全ての人は善であり、光。

 だから、ありのままの自分は善であり、光だと
 思いたかったのかもしれない。

 そうなんだけど、生まれてから今までの経験で
 色んなことを体験して、得たものがある。
 それには、闇とよばれる感情や信念もあって、
 それにふたをしていたんだと思う。

 自分の両親や義両親への怒りかもしれないし、
 配偶者や家族への怒りや悲しみかもしれないし。

 自分自身に対して、愛される価値がないといった
 信念(前提とも言い換えできます。)であったり。
 いい妻でいなければいけない。
 いい母親でなくては子供が可哀相かもしれないし、
 それは一人一人違うし、同じ課題を持つ人もいる。
 

 そして、全てに陰陽がある。
 それを自覚して、受け容れる。

 それが、「ありのままの自分」を受け容れること。
 
 決して、天使や菩薩様のような自分だけが
 本当の自分ではないし、将来的にそうなれるかもしれないけど、
 「今」は闇も光も持ち合わせているのが自分。


 このことを経験して、
 何かを手放したいと思ったら、
 それが「ある」ことに気付くことがスタートだと
 分かりました。

 自分を下げる気持ちを手放したければ、
 その気持ちを持っていることに気付くところから。

 手放すのはタイミング。
 いくら手放したいと頭で考えてても、
 潜在意識でまだまだ持っていたい時は
 すんなり手放せない。

 その自分は否定すること、非難することじゃない。
 そうなんだ、って、ただ認めていけばいい。
 
 そこで自分を責めたら、手放せる?
 いやいや、きっと自分はだめだ的なイメージを
 強くするだけでしょう。
 (落ちるだけ落ちて、這い上がるパターンもあるけどね。)

 ただ認めて、流れるままにしていたら、
 あるタイミングで、手放せる。

 今回の私の場合は、数日必要でした。
 長いか、短いかは人それぞれだと思います。
 人に依っては、一瞬先に変わっているかもしれないし、
 数年後かもしれない。

 すぐにできなくても、本当に手放したいのなら、
 求めることをやめないで。

 そしたら、自分にとってベストなタイミングで起こるから。


 最初にも書いたけれど、もし今回のことが5年前に起きたら、
 世捨て人になっていたかもしれないし、
 誰かのせいにして終わっていたかもしれない。笑。

 だから、この時が私にとってのベストタイミング。

 このブログにご縁あって読んでくださった方の中に、

 私はまだだ・・・
 もう要らないのに手放せない!

 そんな風に思っている方も、ふとしたことで
 受け容れられ、手放せる時がきます。
 本気でそれが要らないとなったら、
 ちゃーんと軽くなれます。

 なぜならば、私ができたから。

 この、ふたをしていた感情や信念(もう要らないもの)を持っている
 自分自身を受け容れ、そして手放すという一連のプロセスにいる間、
 ヒーリングやカウンセリングを受けたわけではありません。

 ましてや、誰かに相談できることでもないと思っていたので、
 ただただ、自分の内側からでてくるものを流すまま、
 そして見つめていました。
 瞑想の機会は多くとったかもしれませんが、1日10分~長くて30分程度ですし、
 それも毎日できていたわけじゃないです(;´▽`A``

 そういうことをしているうちに、いつの間にかきっかけがきて
 (私の場合はガザの空爆だったというだけで…。)
 受け容れられました。

 ここを抜けて思うのは、苦しい・しんどいと感じていても、
 自分自身と向き合うことをやめずに、それをすることで
 『軽くなった自分』がその先にいることを信じていたから

 (…なんだかMっぽいですね。笑)

 感情をでてくるままに、向き合い、受け容れるって
 地味なことだけど、とても大事。


 最後に、このプロセスにいる中、私が勇気付けられた言葉をご紹介しますね。

 「闇を抜ける一歩手前が、もっとも暗い。」

 自棄になりそうな時は、この言葉を思い出し、
 自分を奮い立たせ、明るい方、自分が行きたい方を
 思い出していました。

 人間ですから、時々、辛さに埋もれたくなる時もあります。
 その方が楽そうに見えるんですよ。

 でも、いつまでもそうしてはいられないのも人間で。

 光に向かう自分の強さ、そして根拠がなくても
 より成長した自分になれることを信じて
 進みましょう✧*。

 そしたら、すっきり、新しい自分になれます!
 もう、以前の自分には戻れませんのでご注意を!笑
 

 
 長くなりましたが、ここまでお読みいただきありがとうございます!

 今日のブログから読んで下さった方それぞれに
 何か拾えるところがあれば幸いです。

 ここより愛と感謝をこめて♡

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